◆事実の多面性と不幸について◆このページがスタートして、約1ヶ月です。このページを読んで下さる方の中には、 「ひょっとしたら、こんなページを読むのは時間を浪費しているのではないか」 「このページには、何ら内容が無いのではないか」 と疑いはじめた人もいるかも知れません。 そういう人は、正しい読み方をしている事に自信を持って読み続けて下さい。 少なくとも、私の読み方と同じです。 ただ、正しい読み方をしても、実はその後が肝心です。 内容は無い代わりに、私の文章には嘘がありません。 考え違いは含まれているかも知れないし、事実に反する部分もあるかも知れませんが、意識的に事実に反する事を書いたことはありません。 私は文章では、事実をありのままに書く方針を貫いています。 (これは私が嘘をつけない人間だからです) (換言すれば、私は常に「嘘をつけない人間だ」と主張する事にしているからです) 私の書くことは、どうせ面白く書くために作っているのだろう、と考える人がいるかも知れませんが、多少の文学的、道義的誇張はあるものの、基本的にすべて事実です。 どの話もたいして面白くないのがその証拠です。 だが、私がいくら事実だと言っても、信用しない人がいるかも知れません。 たしかに私は、一部の人間から、信用できない男と考えられていますが、そういう人間は、私の親兄弟、家族、友人など、私に近い人間に限られます。 世界中にいる六十億人という数に比べたら、無視できるほどの小人数です。 六十億人の大部分は、私に疑いをかける事など、夢にも思っていないのです。 かりに人間的に問題があったとしても、私が書くものにまで問題があるという結論は出てきません。 せいぜい私の周りの人間に問題があるという結論が出るだけです。 当然、私の文章に登場する人物は、いずれも実在の人物です。 登場した本人の感想を聞いても、 「たしかに書かれてみれば、その通りだ」 と認める者が少なからず存在するのです。 中には、 「ありのままの事実を一切の誇張もなく忠実に書いている」 と認める登場人物もいるほどです。 (そこまで認める登場人物は、私一人だけですが) もちろん、登場人物の中には、 「ここに書いてあるのは嘘だ」 と言い張る者もいますが、このような態度は見苦しいだけではなく、こういう人間は不思議に、例外なく見苦しい外見をしているものです。 なぜ、「嘘だ」と主張するのか、いくつか理由が考えられます。 1. 自分に都合の悪いことが書いてある 2. 自分のありのままの姿を認める勇気がない 3. 私の文章を曲解している 4. 私が事実を歪曲している 5. 「事実を書く」という事がどういうことか誤解している 最後の点について説明しましょう。 例えば、ラーメンを食べたという事実を書く場合、事実は一つでも、さまざまな書き方がありえます。 ・ ラーメンを食べた ・ 生命維持のために不可欠の行動をとった ・ ラーメンを食べる以外のことをしなかった ・ 炭水化物を百グラム摂取した ・ 水分を200cc摂取した ・ 太平洋を二日間漂流してもいいだけのカロリーを摂取した ・ 太平洋を二十日間漂流してもいいだけのカロリーを摂取できなかった ・ コレステロールと体脂肪を増やした ・ ラーメンを食べる行動によりカロリーを消費した ・ この一ヶ月間で最もカロリーの少ない夕食をとった ・ 一杯しか食べなかった ・ ダイエットした ・ ラーメンを○○た これらは、どれも嘘ではありません。 このように、事実を述べると言っても、多くの可能性があり、多くの側面があるのです。 このページに書いた事実及び、これから書くであろう事実のうち、大部分は私の身に降りかかった不幸な出来事です。 ときどき、 「よく書くネタがあるな」 と言われる事がありますが、私は多くの不幸に見舞われているため、ネタに困ることがありません。 (しかし、こんなモノを書いているのでカネに困ることはあります) 例え、不幸な出来事が起こらなかったとしても、これを書くという不幸に見舞われています。 不幸には事欠かない不幸に恵まれるという幸運な人生です。 私が身に降りかかる不幸を周囲の人間に訴えようにも、不幸をもたらしているのは周囲の連中です。 彼らに不幸を訴えるのは、強盗に被害届を出すようなものです。 このため、私はこのページで不幸を訴えるしかなかったのです。 私の文章に高雅な趣が欠けているのも、深遠な思想が見られないのも、このためです。 悪いことに、不幸なことを毎日のように書いているため、この連中は、何を勘違いしているのか、私に不幸な出来事が起こると、 「ネタが出来て良かったな」 などと嬉しそうに言い、以前よりも積極的に不幸をもたらすようになってしまいました。 ジャンル別一覧
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